なぜアスレティックトレーナーになったの?

アスレティックトレーナーとは何ですかと聞いて答えられる人は意外と少ないのを感じます。

たくさんの「スポーツトレーナー」がいる中でアスレチックトレーナーとは怪我の予防リハビリ改善などをメインに行うトレーナーです

「サッカーで誰かダウンしたらばバックを持って走って行く」言ったらイメージがつきやすいでしょうか?

ウェイトトレーニングを教えたりスポーツのパフォーマンスを高めるためのトレーナーはストレングスコーチなどと呼ばれています。

なぜアスレチックトレーナーになったの?

自分が学生の時に怪我をしたとか立派な理由はありません。単純に人の動き代償運動みたいなのに興味がありました。この関節が動かないとこう動くみたいな興味です。

小さい時から兄の影響で野球を始めて、小・中・高校と野球三昧の毎日を過ごしていました。

将来はプロ野球選手になりたいなと思っていましたが高校卒業のタイミングで 夢やぶれアメリカの大学に進学することにしました。

なぜ突然アメリカに行ったの?

小学校6年生の時に東京都とニューヨークの姉妹都市の関係でオール東京という選抜チームに選ばれました

その時にホームステイをして全く英語が話せず、いつかまたアメリカ行ってみたいなという憧れで、そのいつかのタイミングがたまたま高校を卒業するタイミングでした。

その時には野球をやりたいとかトレーナーになりたいとかそういう気持ちは全く無く、ただ単純にアメリカへの憧れのからのスタートでした

トータルするとアメリカ6年いたのですが思い返してみると勉強しかしていないぐらい一生懸命勉強しました


 前述したとおり高校を3年生までは勉強すらしたことないただの野球バカでしかなかった人間がアメリカでいきなり勉強に目覚めるということはなかなかありません。


いわゆる野球バカだったのでそういうふうに思われている自分にコンプレックスがありました。


自分に対して負けず嫌い的なところがあり日本を出る時に「あいつに卒業できるわけないだろ」みたいな陰口を叩かれたのも知っています


そういうのがあったので行ってみなきゃ分からないやってみなきゃわからない。親の支援もあってせっかくアメリカで勉強をしているんだから立てた目標当時は卒業というのが目標でした。


今でも忘れもしませんが2001年の5月にアメリカへ渡米してその日から一生懸命英語を話そうと思いました。


言葉ではわかっていても発音時代が通じなかったりそもそも聞き取れなかったりそんな生活が1年ぐらい続いたかと思います

最初の3ヶ月間は生活に慣れるのに必死でした。

新しい世界を見る刺激の多さに毎日がすごく楽しかったです。ランニングをしてみてもどれだけ走っても景色が変わらないし、真夏に走っているとおかしいやつと思われて車から「こんな暑い中走るもんじゃねーから乗れっ」って何度も声かけられました。笑


食事も太りたくないのでサラダとかバナナばかりでコーラは飲まずに渡米してから2週間で5キロぐらい痩せたんですよね。コーラが2リットルで69セントとかでしたから!


「英語の勉強」


当時はイチロー選手がアメリカに行った年でもありますので新聞を読んだりテレビでアメリカのメジャーリーグを観戦したり、また日本で見た映画を英語で見たり、コメディ(アメリカン・パイ」などのコメディ映画を繰り返しテレビで流し続けました。


テレビで言っている言葉をオウム返しで英語で繰り返したり、ラジオから流れる野球中継を聞いたりで知らず知らずのうちに耳が慣れてくるような感じがして仲の良い友達の英語が自分にも身につくように曲や振る舞いまでもがうつっていきました 


「外国人と一緒にいる違和感」


小さい頃から日本人としかつるんでなかった自分にとって外国人と一緒にいる時間が違和感でしかありませんでした。いらないプライドが邪魔をして英語が話せない自分を装うかのように人から避けて人を避けたりもありましたが現地人に聞いてみると

「アメリカでは母国語でない英語を喋る人がたくさんいるけどインド人や中国人の英語も ある中で日本人のあなたが変な英語を話したとしても全く気にはならないという」ように言われました 


日本人は英語をきれいに話そうとか文法ばっかし習ってきたから正しい文法で話そうとかそういう意識にとらわれがちですが、生まれたての赤ちゃんが少しずつ言葉を覚えていくときはパパマママンマなど簡単な単語を組み合わせてコミュニケーションを取っています。


英語を学ぶ時も一緒で知っている言葉をつなぎ合わせることによってコミュニケーションをとるということが大事だっていうことも後になって分かりました。


今でも単語は分からなかったり、言おうと思っていたニュアンスが伝わらなかったりということは多々あります。外国人と話をしていると その人たちが話す言葉 から正しい単語を選べるようになり 今でも英語の話す力は向上をしています


一番大事なことは英語を話せるようになるということではなくて人から好かれるような自分になることが人とのコミュニケーションの中で一番大事だなということがわかりました。


日本からアメリカに出てみて一番自分が大きく変わったなということは日本に来てから、日本に帰ってから気が付けるようになりました。


 何よりも言葉が通じることが嬉しくて アメリカの生活では自分が言いたいことがうまく伝えられなかったりという状況のなか生活していたので日本に帰ってきたから言葉が通じることの大切さ嬉しさを理解して性格的に積極的になりました


また狭い世界で生きている自分にも気が付くことができました。いろんな世界を見ていろんな文化を体験していろんな人と付き合い そんな広い世界観を見ることがで来ました。

「学生生活その1〜短大・コミュニティカレッジ時代」

アメリカで学生をしている時には 短大の時に 学校内の託児所でアルバイトも経験しました

子供たちが使ったおもちゃを子供達が帰った後で消毒するのが主な仕事で時給は1時間あたり6ドル45セント。(ランチ食べてもお釣りがくる!)

たくさん仕事をすればお金もたくさん入ってくるし、英語に勉強になるし、留学しているという満足感!

その上子供たち(2-5歳)が話す敬語は簡単で自分にも聞き取りやすくまた自分が話す英語も正しい言葉でないと 小さな子供には理解されません。

迎えに来るお母さんと挨拶をしたり 一緒に働く同僚とコミュニケーションを取ったりすることで英語が磨かれました

一週間当たり10時間という制限がある中でもらえる給料はとても大事で 確かほとんど食事に消えていたと思います。

普段はベーグルとかご飯を炊いて食べるだけの生活でしたが週末だけは外食をするしてもいいというルールを決めて平日は節約していたような気がします。(それでもパンダエクスプレスとかのレベルでした)

Subwayというサンドイッチのチェーン店がありましたが、Subway Crab(カニ)をSubway Clubといってしまい毎週通って聞き取って貰えるか挑戦してました。


留学するならばお金はたくさんあるに越したことはありません。色々な所へ行けるし、そこで出会う人達と付き合えることで世界観が必ず広がります

自分はバカ真面目に勉強しに来たんだから勉強しなきゃいけないというふうに思ってたくさん勉強していたけど 今思ってみればもっと切り抜いて沢山遊んでおけばよかったなと思ってます

英語は使わないと忘れませんか?

英語はつかないと確実に忘れます。ありがたいことに今はお店のお客さんが大使館の人が多く訪れるので英語を話す機会はとても多いです 低下するどころか向上をしていると思います


2000年前半はインターネットが普及し始めたばかりでしたので今見たいな YouTube やオンラインで動画を見たり、セミナーを受けたりすることはまだありませんでした

今の時代はテレビ通話があったり オンラインデモアメリカの教育が通常通りに受けられるようになったなったり 本当に恵まれた環境でいます。今に留学生はそうゆう面では楽なんじゃないですか?そんな事ないのかな?

そこで勉強した解剖学の授業が自分にとってはすごく面白く、どうせ勉強するんやったら今まで関わったスポーツに携わりたいと思い、キネシオロジー(体育学)を学びたいと思うようになりました。

そこでアメリカの NATA というアスレティックトレーニング協会を知って、どうやったらそのNATA認定のアスレチックトレーナーになれるのかそれを調べたら、認定を受けられる大学が意外にも少ないことを知り 大学へ編入するためにたくさん勉強を始めました。

特に大学の成績が良かったわけでもないですがギリギリの成績で 編入することができました。

当時のルームメイトがとても頭が良かったことで彼の勉強する姿を隣で見ると自分ももっと勉強しなければいけないなっていう気持ちになり、その時は勉強の仕方自体が分からなかった程です。

高校まで野球しかしていなかった自分にとって徹夜で勉強するっていうことをしたことがなかったので苦しかった分、楽しくもありました。

その中で解剖学、生理学、バイオメカニクス スポーツ運動論など様々な勉強をしました。

アスレチックトレーナーのプログラムは誰もが勉強できるというものではなく 年間約15人という狭い枠で争うもので、留学生という立場で言葉の壁があるにも関わらず、なぜその15人の枠に入れたのか今でも不明です

大学3年、4年の2年間は学校の勉強に加え近くの大学や整形外科のクリニックなどでインターンとして学び、大学4年の時に国家試験を受けました

中学・高校と日本で言う受験を逃れてきた自分にとって、アスレティックトレーナーの認定試験に合格した時は人生で初めての達成感を味わうことができました
(現在アスレチックトレーナーは資格所得後も2年間で約50単位を 継続勉強をするように 2年間で約50単位、 約50時間の勉強を課されています。)

しかし資格を取っただけで現場で活躍できるトレーナーとは限りません。

日本ではアメリカと違ってアスレチックトレーナーという職業がまだまだ認知されていない状態でもあります。

帰国後・・・

初めは知り合いに頼んで社会人のソフトボールチームのアシスタントアスレチックトレーナーをさせてもらい、もっと現場の仕事を見たいなと思うなかでサンフレッチェ広島というプロサッカーチームにご縁をもらいたくさん経験を積み自信と知識を積み重ねました。

色々な怪我のケースリハビリテーションなどを学び トップスポーツ選手だけでなく一般の人にも興味を持つようになりました。

たくさん働いている人が引退をしてこれから第二の人生を楽しもうとする中で急になってしまった方のサポートをすることになりました

数ヶ月間ケアする中で歩けなかったものが歩けるようになり、泣いて喜ぶ人を見てトップのアスリートを見るだけでなくこういった一般の人が抱える問題を解決できるようになりたいなと思うようになりました。

歩けなくなると人に迷惑をかけたくないという思いから、 行動範囲が狭まり社会との関係が薄れていきます。そうしてくると体だけでなく精神面も凹んで行きます。

元気に歩く ということはまだまだ若いうちはその大切さが分かりませんが年を重ねてくると その大切さがわかってきます。

私にも年を重ねて老後の生活が待っています。健康がないと何も出来ません。

歩けるようになるだけではなく好きなスポーツを楽しみたいもっと競技能力を高めたい そのためにはどうしたらいいのか?

それを解決できる人になりたいと思っています。