もし私が1部分欠けたドーナツをあなたにあげると言ったらどう感じますか?
「なぜかけたドーナツをくれるのだろうか?」「この一部分は食べたのかな?それとも虫に食べられたのか?」
「傷んだのでちぎって残りの部分を私にくれたのだろうか?」
欠けた部分が気になってしかたなくなるかと思います。
別の見方をすれば欠けていない大部分を食べることができるのでとてもお腹が空いているときには1部分欠けているからといってあまり気にならないかもしれません。
100%完璧な形のドーナツであれば何も考えることなくそのまま食べるかもしれませんが20%かけたドーナツは80%が残っていたとしてもその20%がとても気になってしまいます。
怪我でも全く同じことが言えます。
例えば足首を怪我してしまった人は怪我をした部分が痛いのは当たり前ですが組織が修復されてくれば怪我をした部分も元通りに戻っていきます。ところが足首を怪我した瞬間にあなたの歩き方はどうなるでしょうか?右足を怪我をしてしまったら右足に体重を乗せたくなくなるので体重を支えるべき右のお尻の筋肉が機能を失っていきます。
また怪我をしてしまった右足に体重を乗せないように、負担がかからないような歩き方動き方をしてしまいます。右足以外の筋肉は必要以上の仕事量を求められます。
この無意識下で行われる過剰な関節の運動を代償運動と呼びますがその代償運動は人間にとってとても大事なものです。急に使えない部分ができた時に意識的に動かしていたら、別の事に意識が回らなくなりいざと言う時に逃げられなくなります。
怪我を部分だけが悪いのであればそこが修復すれば痛みは取れていくはずですがいつもまで経っても同じ痛みを繰り返している人も多いますよね。疑いを持って欲しいです。「本当に足首だけだ問題なのか?」って。
例えば20%の怪我をした場合、80%の健康的な部分が痛みの補正をすることで本来の仕事以上の仕事が求められて機能を失っていくいきます。20%の怪我をした部分よりも80%の使い方が狂ってくることによりあなたの痛みが増えてくるのであればそれは改善させることができるのではないでしょうか?
ただ人間は正常な80%よりも怪我をした20%が気になって、痛みの原因を20%だけに決めつけようとしています。