ミッション

M3スポーツセラピーは「健康への投資は大きな見返りがある」という想いで
運動と栄養を通じて生涯健康でスポーツが継続できる健康的なライフスタイルの提案をしています

【幼少期】小学2年から野球を始めて小学校6年生の時に東京都の少年野球の選抜チームである「オール東京」に選ばれてニューヨークに2週間遠征に行かせて貰いました。
当時は英語もろくに話せずにジェスチャーだけでコミュニケーションをとりました。ホームステイをした時も思うようなコミュニケーションが取れずに「いつか英語を喋れるようになりたいな」「また行きたいな」いう思いを残して帰国しました。


【野球バカ】高校では千葉県の高校へ進学し県大会で優勝し、関東大会へ千葉県代表で出場しましたが前の夏に全国制覇している群馬県代表の桐生第一高校と一回戦で当たりぼろ負けしました。


3年時、夏の大会を直前に優勝候補筆頭だった母校がメンバー7人のカンニングにより1回戦出場停止になり、残りのメンバーで一回戦を戦いました。それでも全然問題なく勝ち進むと思いきやそのまま1回戦で敗退となりました。千葉県では優勝候補が立て続けに負けて大波乱の夏になりました。


そこで野球のへの情熱が途切れて急に野球を辞めようと思い、その後の進路も進学しようと考えましたが「いつか行きたい」と思っていたアメリカへ行くチャンスがこの時に巡って来て留学する事になりました。


当時はアスレチックトレーナーになりたいという思いはなく、ただただ「英語が話せるようになりたい」という思いだけでロサンゼルスへ行きました。


【留学時代 2001-】最初の半年は英語を学び、その後正規授業(一般教養)を学ぶ学校につれて、「興味のないことを英語で勉強をするのはとても苦痛で成績も上がりませんでした」


たまたまその時に解剖学の授業を取りましたが日本では鮒(ふな)やカエル使って解剖学を学びますがアメリカの大学は猫を使って実験を行いました。


その時に初めはとても衝撃だったのですが慣れてくるに連れて 動物の構造だけでなく当然人間の構造にも興味が湧き始めてました。


どうせだったら今までやってきた野球に携わる太鼓のことを勉強しようと思うようになり、それからアスレチックトレーナーについて調べて専門課程のある大学を調べて編入することになりました


アメリカの大学ではアスレチックトレーナーになりたくても専門課程に入るための試験がありました。言葉の壁があり、成績も飛び抜けてよくない自分が周りの学生と競争しなければならなかったのですが後々聞くと100人くらい応募がある中の15人に選ばれているということを知りました。


高校まで野球ばかりしていて勉強をしなかったいわゆる「野球バカ」の自分がアメリカで勉強をしてアスレチックトレーニングのプログラムに入った時はとても嬉しかったのを覚えています。


プログラムに入ってからは午前中に授業を午後から夕方はインターン、夜は授業の復習や予習を行うために60分の授業を2ー3倍の時間をかけて勉強しまくりました。


毎週の小テスト(Quiz)に必死でどうしても難しい専門用語のスペルミスでとても苦戦しました。
2年間アスレチックトレーニングの専門課程で学び、その後の国家試験では一度落ちましたが2回目の試験で見事合格になり当時に目標をクリアする事が出来ました。


そのままアメリカで働きたいとも思いましたが最終的に日本に帰りたいという思いがありましたので 1日でも早い方が良いと思い卒業後すぐに帰国しました


【帰国後】
日本に帰ってきてからは就職がとても苦戦しました。大学の好きだった先生が「教えることが一番勉強になる」という言葉を話したいで専門学校で教える仕事を2年間行いました。
そこでは現場の話をするのですがまだ資格を取ったばかりの自分で現場経験もないので違和感を感じてスポーツの現場へ行かないと更に成長がないと思うようになりました。


その時に募集をしていたサンフレッチェ広島のトレーナーのポジションにすぐ応募しました。
その後3、4ヶ月には来年度から契約と言う話になり、仕事の引継ぎや当時付き合っていた彼女(今の奥さん)には正式に決まるまでは広島へ行くことは伝えていませんでした


広島では日本代表レベルの選手のサポートをする機会がありとても大きな経験になりました。現場での働き方や施術の根本的な事をたくさん経験出来ました。
2011年に地震があり、遠距離恋愛していた彼女や家族に連絡が取れずに少し不安な時間を過ごしました。今後何かあった時にでは遅いと思い東京へ戻ってきてフリーランスとして働く決断をしました
フリーランスとして働いてみると一番最初に思ったのが将来の自分の不安です。個人事業主になるので退職金もなければこれから日本がどういう風に変わっていくのか分からない中で自分が一生働き続けるためにはお金も必要ですがそれ以上に健康が大事だと実感しました。
当時の自分は健康の秘訣といえば

3度のバランスの良い食事と

睡眠時間をたくさんとる

ぐらいの健康法しか知りませんでした。
そこから健康の話をたくさん勉強して「ストレスや感情が与える体への影響」や「身の回りの日用品による影響(アメリカのプロスポーツチームのクラブハウスに書いてあった)」 など今までと違った分野を勉強する機会が多くできました。

フリーランスとして働いてみた時に変わったことがもう一つあります 
初めはスポーツ選手を見ていたような形で一般の方もエクササイズやトリートメントができるというスポーツセラピーをやりたいと思っていましたが 開始した当初に来た方が78歳のおばあちゃんが 来店されました 


その方はご主人を北海道で亡くし不安に思ったご家族が 働く東京へ北海道から引っ越してきたばかりの方でした
縁もゆかりもない東京で高齢になって住み始めることはとても不安なのは想像できますが 自分の足で多くの友達を 作って行きたいと思っていたのですが膝が痛くなり行動範囲が少しずつ狭くなってきてやがて外出することも困難になってきたということでした


 3-4ヶ月ほどセッションを 行い最後には痛みなく歩けるようになりました 。その時にそのおばあちゃんは泣いて喜んでくれました話を詳しく聞くと高齢になって北海道から東京の家の中でしか時間を過ごすことない自分にとても不安だったという話をしてくれました


今までの自分は選手が怪我をして痛くて泣いているのは見たことがありますがよくなって泣いて喜んでくれる人がいたことはありませんでした

これからの 人生の中で 多くの人はこの痛みがなければ旅行することもできたし、元気に働くこともできたのにと思う方は多くいらっしゃると思い、


いつか自分にも来る健康問題をこれから扱って関節や筋肉を動かして健やかに動ける体作り、また食事を見直す機会であったり体にも環境にも負担をかけない生活スタイルを提案をしていきたいと思いました


M 3スポーツセラピーはスポーツ選手が きてコンディショニングをする施設でもありますが 


同時にスポーツセラピーを行い痛みなく動けるようになっているとか 長く大好きなスポーツを楽しんでもらえる人のサポートが することが 基本になっています


痛くなってからでは時間もストレスも たくさん使いますが痛みなく過ごせている自分と向き合ってくれるように ライフスタイルの提案をしていきたいと思っています